Father

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どうも、田中尚樹(@Uzunaoki)です。

 

あまりこういう事はブログに書いていいものかどうか考えましたが、

ブログを開始して初めての夏。

 

ちょうどいい機会ですし、

一つの記録?としてこの場に綴らせていただきます。

 

(広告除外記事)

 

 

 
 
 
 

父親の三回忌でした。

 

三回忌とは、亡くなってから満2年

つまり亡くなった翌々年に行う法要のことを言います。
三回忌は、一周忌の次に行う仏式の法要なのです。
特に三回忌からは回忌といった数え方をすることが一般的になっています。

 

そうか。改めて二年経ったんだな、という感じです。

 

親父が他界してから二年。

とても早くて短く感じます。

あれからいろいろな事が変わりました。

いくつも乗り越えないといけない試練が起きました。

新しい家族も産まれました。

 

悲しい事も

嬉しい事も

悔しい事も

楽しい事も

二年という短い期間の中では

もういいんじゃないかってぐらい

色んな事が起きました。

 

もし親父が今もなお生きていたらどうしてたか。

まぁ酒でも飲んで唇尖らしてソファーの定位置に座ってテレビ観てたでしょうね。笑

 

 

昔は怖くて怖くて怖かった親父。

何度も殴られたし、

掃除機の棒でボコボコにされて

部屋の角っこまで追い込まれて

それでもボコボコにされた事、今でも覚えてます。

時代が時代なら問題なってたんちゃうかな笑

 

それだけ怖かった親父が、

僕が高校生になったぐらいからはピタリと

怒らなくなった。

反抗期というものを通ってないので、

モメる事はもともと無かったんですが、

そんな僕でも拍子抜けするぐらい怒られなくなった。

 

その理由は今でも分かりません。

別に殴り合いをして僕が勝ったとかそんなんもありません。

でも、親父なりの何らかのルールだったのかも。

それは、僕が親父になった時にでも、分かるのかもしれないな。

 

 

親父はパン屋を営んでて、

僕はそのパン屋を継ぐことが決まってました。

その流れで簿記など必要資格をとるために、

高校も商業高校へ進みました。

 

でも、高校二年の終わり、俳優になりたいと思い、

パン屋は継がないと父に言いにいきました。

ボッコボコに殴られると思いました。

だってパン屋を継ぐためにそれ用の高校へいくお金から何からしてくれた訳ですからね。

 

でも、返事は予想してた事と真逆の「好きにしろ」でした。

あっけなさすぎてキョトンとしていたら、

親父本人も、田中家の代々の仕事があったけど、

それを蹴って、18歳の時に大阪にやって来て自分のやりたい

「パン屋業」についたので、お前も好きにしろ、との事でした。

 

その日から僕は今日にいたるまでやりたい道をまっしぐらに進んでいます。

親父の言う通り、好きにしています。

でも、やってわかったのは、好きに生きるのも中々大変だということ。

好きに生きるだけでは、進めないから、

好きに内包されてる壁を、何個も、何個も越えないといけません。

 

 

まだゴールには程遠く、

しかも親父にゴールの姿を見せる事はできなくなってしまったけど、

これからも頑張ります。

暖かく見守っていて下さい。

 

 

アホみたいにあっつあっつい真夏に。

キスの練習に、とマネキンの首を自分の部屋に置いてた広島のドラ息子へ。

そのドラ息子のドラ息子、タナカナオキより。

 

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